なければ絶対に厳しい。
そんな当たり前のことをご紹介します。
起業一年目
元同僚と設立した1社目。
つまずきの起業であった会社設立の1年です。
売上の目処はたたず、役員報酬も上げられず、当時の嫁さんとの関係は極度に冷え込んでしまいました。
今考えると、無理もありません。
よくそんな私と結婚したものだと関心します。
結局は、会社の状況が好転することもなく、当時の嫁さんとの関係もこじれる一方で、何もかもが辛い状況となってしまいました。
毎日、なかなか帰宅ができず無駄に駐車場で時間を潰していました。
当時の嫁さんから
「稼げていない状況で起業している意味があるのか。早く、会社に勤めた方がいい。」
との主旨を告げられます。
人生をかけて起業しているつもりでしたので、理解されていなかったことに愕然とします。
今振り返ると、30代前半なのでやり直しがきくことを伝えたかったのかもしれません。
当時の私には、そのようによい方に受けとめ、よい助言だと相手を理解する余力はありませんでした。
会社も畳む方針となり、元々が脱サラに反対であった嫁さんと一緒に生活することは、想像ができなくなりました。
ビジネスもうまくいかず、家も安らがない状態であったため、体調も不調をきたし、しばらくの別居を経て、結局は離婚することとなります。
役員報酬の設定は、平均年収程度であったのですが、当時の生活は、人生の中で一番精神的にまいりました。
お金は大事ですが、家族の状況によっても、幸福度は大きく左右します。
当時の私は、起業することがゴールとなってしまっており、周囲を見る余裕がなかったのだと思います。
家族にすら支えられない、応援されない会社に未来はありません。
家族に説明、説得できなかった自分は力不足であり、器が小さかったわけです。
そんな者が設立した会社はうまくいくはずがありません。
2社目設立 年収急降下、激貧。ようやく家族の支えを得る。
後に引けない、どこにも逃げ場の無い状態で、一人で2社目となる会社を設立します。
人生の中で最低賃金、年収90万円を下回る驚異的な役員報酬で数年活動します。
縁あって、そんな状況を見るに見かねると思ったのか、今の嫁さんに拾っていただくこととなります。
私はバツイチでありとんでもない不良資産です。
激貧の私でしたが、何の役にも立たないプライドがあり、彼女にお金を出させることは、一切させませんでした。
武士は食わねど高楊枝です。
会社では、孤軍奮闘なんとか軌道に乗りはじめ、がむしゃらに仕事をする日々が続きます。
数期経て、まだ、平均年収には至っていない状態でしたが、長らくお待たせしてもと、結婚することとなります。
結婚しても、仕事や給料について言うことはなく、静かに支えてもらっている感じがしました。
お陰様で仕事に専念することができました。
今では満足のいく稼ぎとなりつつあります。
当時の状況(年収90万円時代)について嫁に聞いたところ
「戦うことを辞めていないようだった。稼ぐ力があることは予測できていた。」
とプロの伝説相場師並のコメントが返ってきました。
女性の嗅覚に怖さを覚えるとともに、ただただ感謝するのみです。
家族の理解がなければ起業するな
対照的なエピソードですが、これは事実です。
抽象的な表現かもしれませんが、起業=ほぼ会社生活 となりがちですので、家族の理解は必須です。
理解されないと、前半のような話となります。
家族にとっては、たまったもんでは無いことは容易に理解できます。(当時は理解できませんでした。すみません。)
積極的に仕事を手伝う等の家族のサポートよりも、ある種、距離を保って接してもらうような消極的なサポート・理解である方がうまくいくかもしれません。と思います。
精神的にも金銭的にも不安定な状況であれば、家族も心配します。
私の体験を反面教師にしていただければ幸いです。